うぷぷのつぶ焼き

雑多記事です。なるべく長ーく手が届く範囲のテーマに経験したこと・感じたことを書いていきます。

【2020年・秋】京都・愛知の刀剣巡り(+α) ~後編~

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4日目:幕末史跡巡り

京都で絶対訪れたかった刀剣縁の地を全て周った後も、まだ出発まで十分時間があった。

そこで、京都が好きになったきっかけである、幕末史関連の地を周ることにした。

最初に向かったのは、霊山歴史館と護国神社にある坂本龍馬中岡慎太郎の墓である。

どちらも、今回が2回目の訪問だ。1回目は大学を卒業後の最後の春休み、就職を控えていた時期で、新しい門出に対し、幕末の志士たちに気持ちを引き締めてもらおうと訪れたのだった。

今回も、人生の分岐点に立っている状態だったので、生きていく上で龍馬のような強い意志を持てるようにと願いを込めてお参りをした。

霊山歴史観でもらったパンフレットには幕末史跡関連をまとめたマップが載っていた。興味はあったものの一度も訪れたことがなかった池田屋跡と近江屋跡が、比較的近いことがわかったので、そこに向かうことにした。

目的の場所は三条通りの鴨川近くにある。川沿いを歩きたかったのでいったん四条通りでバスを降り、最後の鴨川散歩をすることにした。

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川には大型の鳥がエサをねらって飛び回っていて、それを休憩がてらに観察しているように人々が川沿いのブロックに腰を下ろしていた。

初日は雨だったが、以降は最後まで良い天気だった。ずっと歩き回っていたので筋肉痛の兆候が見え始めていたが、青くて高い秋の空と、川の流れる音、北に見える山の景色を堪能することができたのは本当に幸運で、足の痛みなど気にならなかった。

最初に見えたのは、池田屋跡。新選組の大捕り物・池田屋事件で有名だ。その次、池田屋跡から歩いて5分とかなり近所にあるのが、龍馬暗殺の地である近江屋跡だ。

どちらも石碑と説明書きがやや存在感薄く店の前に建てられている。大通り沿いの店前なので、人通りが激しい場所だ。かつて私が興味があったにも関わらず訪れなかった理由が、人の目を気にして写真に残したり、まじまじその場所を眺めることが出来なかったからだ。

歴史オタクを名乗るには俄仕込みだが、他人から見れば史跡前でじっくり吟味する姿はオタクそのものであろう。

何を恥ずかしがることがあるのかと思ってはいるものの、払拭できないのが私の自意識過剰の強さが伺えてしまう。

だが、今回は何とか実際の物を見、写真に収めることが出来た。人の目を気にしない、その気持ちが強くなっていることを認識することができた一件であった。

池田屋跡から近江屋跡に向かおうとGoogleマップを開いて地図を見た時、龍馬通りという通りがあるのに気付いた。小道で大した距離ではないが、興味を持たずにはいられなかったためそこを通ってみると、龍馬が滞在していた酢屋という小物店に出会うことができた。

霊山歴史館のマップに載っていない、私自身気づかなかった地だ(酢屋の存在は知っていたが現状は知らなかった)。しかも龍馬が滞在していた2階を見ることが出来るという。

店員さんの話によれば、内装は現代風に改修しているが、店の間取り、外観はほぼ当時のままだという。2階に上がると天井部分は全く当時のもので、その黒々と変色した木材の様子がその古さを表していた。

後10日ほどで龍馬の誕生日、そして命日だ。(11月15日は旧暦の日付であるが。)

思わぬ出会いに、今でも十分満足だった旅にさらに箔を付けることができた。

 

 

京都駅からバスで2時間半、到着した名古屋で一泊。

名古屋にも刀剣縁の地がある。

名古屋駅から中央線で20分、大曾根駅を訪れた目的は徳川美術館だ。

全国統一が果たされた江戸時代。戦は無くなったものの、贈答品や献上品、そして権威の象徴として刀剣は歴史の表舞台に立っている。

展示室には、名物包丁正宗や長船の刀などの徳川家が所持していたとされる刀剣と、刀剣の名称や刀装の名称を実物を通してわかりやすく説明しているショーケースがあった。

お土産屋に刀剣雑誌「ニッポンの国宝100 国宝 刀剣」が置いてあった。刀剣の名称や、形の比較の理解に役立つし、知識欲を満たしてくれるだろうと思い購入。(表紙に三日月宗近とかへし切の名があったのも理由の1つ…!)

 

徳川美術館を出て、次に向かったのは熱田神宮だ。

約30分程度と遠くない距離で本当に良かったと思う。

熱田神宮は草薙御剣を祀っている由縁から刀剣の寄進が多く、刀剣の宝庫と言われている。真っ先に宝物館に向かうと、目の前に長い赤い鞘と並んで同じくらい長い大太刀が現れた。これの別名がお馴染みの太郎太刀。これは人間は扱えないだろうと思えるくらい巨大だが、刀身は5kgと、一応持ち上げることはできそうなことがわかった。

宝物館では、現代の刀鍛冶たちが鍛刀し、奉納された刀剣が展示物の半分を占めていた。ある刀の茎に「コロナウイルス撃退」を意味する言葉が刻まれていた。

現代でも刀鍛冶がいて、刀剣が鍛えられている。すでに武器としての用途が廃れているのにも関わらず、そうして刀剣が作り続けられているのは、日本の始まりに神様が天皇に与えられた三種の神器に刀が含まれていたからなのだろう。

刀と信仰には結びつきがあるのだ。もしかしたら刀の本来の存在理由はそっちかもしれない。

ますます刀剣乱舞のキャラに付喪"神"の認識が強まる。崇めるのも間違っていないかも。

かつて戦で活躍した刀たちも、これから打たれる刀たちも、現代の神の道具としてこれからの日本を見守ってほしいものだ。

 

ちなみに、来年の秋、熱田神宮では草薙館という刀剣を集めた展示館が建てられるという。そこでは太郎太刀と一緒に次郎太刀も展示されるらしい。これはいいニュース。

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御飯事情

4日目:昼食

 行きたいところがたくさんあったので、食べる時間の確保は困難だった。三条河原を歩いた先でスタバが見えたのでサンドイッチとプラペチーノのような飲み物(詳しくない)をテイクアウトし、河原で地べたに座って食べることにした。

京都の河原で景色を眺めながら物を食べたり飲んだりするのに憧れを持っていたので、実行できてうれしかった。

4日目:夕食

18時に京都を発ち、21時に名古屋着だったので、いつもの時間通りに夕食を食べることはできなかった。名古屋のホテルに到着し、京都のバスターミナルで買ったサンドイッチと残っていたバナナを食べる。残念ながら、ワインを買うためコンビニに寄る体力は残っていなかった。

 

 5日目:朝食、昼食

京都で買ったグラノーラはまだ残っていた。だが、肝心の牛乳を買わなければならなかったので、起き抜けの状態でコンビニに向かい、牛乳と、チェックアウトする前に昼食を済ますために、インスタント担々麺とコールスローを買った。

 

完。