うぷぷのつぶ焼き

雑多記事です。なるべく長ーく手が届く範囲のテーマに経験したこと・感じたことを書いていきます。

【結局ハマらなかった】TV版・鬼滅の刃総集編を観てみた感想

※鬼滅ファンの方にとって不快になる内容が含まれています。閲覧は自己責任でお願いいたします。

 

小学生からお年寄りまで、すっかり日本中の老若男女がこのアニメ・漫画の虜になり、海外ニュースでも取り上げられるほど国民的作品となった鬼滅の刃

元々の原作人気と、ハイクオリティのアニメと、さらにコロナ禍の巣ごもり時間の増加によってヒットを後押しされた奇跡の作品だが、流行りに乗れない体質の私は、刀剣乱舞の人気が最高潮になったとき(2017年頃か)に敬遠していたのと同様、この作品に対しても、人が群がるものに寄りたくないという意識が働いて映画大ヒットという大ブームのさなかにおいても興味を惹かれることはなかった。

だが、深夜アニメシリーズが再編集され放送されると聞いたときは、2時間×2回でおおまかなあらすじが知られるのと共に、なぜこの作品が人気なのかわかるのではないか、自分も好きになれるのではないか、という期待をわずかに抱いたため、これは見逃がせないと録画することにした。

それから、TOEIC試験が目前だったのと、試験が終わっても観る意欲が生まれなかったためしばらくその録画を放置していたが、頭の片隅にそのことがずっと残っているのが癪だったので、映画公開の反響がすっかり収まってきた11月下旬、いつも通り波に乗り遅れた後にようやく観てみようと心を決めた。

 

 

前編<兄妹の絆>、後編<那田蜘蛛山編>を観て共通して思ったのは、総集編では良さを伝えるのは難しいということだった。

総集編はアニメのシーンを切り貼りしたもの(だと認識している)。元々30分のアニメ用にちょうどいい演出・テンポで作られていることから、総集編となるとちぐはぐ感が否めないことはよくある。今回の鬼滅の刃総集編においても、鬼による凄惨な殺人シーンとコミカルタッチのギャグシーンの切り替えが急だったり、戦いの中で回想シーンが何度も差し込まれたり、あと、漫画のセリフをそのまま使われているためか、長々しい説明セリフも気になった。(アニメの長~い説明セリフはジョジョで慣れていたはずだったが、その作品の雰囲気に慣れていないとかなり違和感を感じるもののようだ。)

残念ながら、作品の良さを感じようとする前に、そのちぐはぐ感がそれの邪魔をして、ストーリーに集中することが出来なかった。

 

作品の良さを感じにくい総集編を観てしまったのはこちらの落ち度だったかもしれない。けれども、それを除いても、抜け出せえない考えを持ってしまった。すでに自分は対象年齢外なのだということである。(超えたという意味で。)

鬼滅の刃の良さについて、ワイドショーで取り上げられているのを見たことがあるのだが、主人公ら人間の敵である鬼にも悲しい過去やトラウマがあり、その鬼が倒される際に繰り広げられる心の解放の過程に感動するのだと、コメンテーターは答えていた。

放送されたこの2本は、作品内の特に人気な感動できるエピソードということで、コメンテーターが伝えていた、鬼が過去を振り返る回想シーンがちゃんとあった。あった、が、私は多くの作品を観てきたせいか、目が肥えてしまったのだろう。その鬼に共感し、そのシーンを感動と捉えられる新鮮で純粋な心はすでに無いようだった。悪く言えば、ありきたりに感じてしまった。

正直に言うと、その感動シーン含め、自身の審美眼に合わなかったり、すでに他作品で多用され見慣れた要素がちらほら見受けられて、正直視聴を続けるのが苦痛に感じてしまった。

例えば、非常にグロデスクな殺人や戦闘シーン。過激なのが受け付けないのではなく、何となく作風に不釣り合いだと感じた。キャラのデザインは可愛らしくて、セリフやストリーも(私目線では)真っ当で王道なのに対し、そういうシーンではぎょっとするほどグロいのだ。<那田蜘蛛山編>で蜘蛛の鬼に操られた鬼殺隊員が、関節を無理やり外されたり、負傷による痛みをお構いなしに戦闘を強要されたり。若い読者に対して未開な好奇心を刺激するためにわざとこうした描き方をしているのではと邪推してしまう。

また、「見た目若いのに超強い」「見た目優しそうなのに残酷」なギャップのあるキャラクターたちは私にとって食傷モノだった。(特に胡蝶しのぶの「かわいい女の子」「丁寧口調」「嗜虐嗜好」のキャラは恥ずかしさを覚えてしまった。)

これらに関して好意的な意見を挙げるなら、十数年前、BLEACH銀魂に夢中になってた時期に出会えていたら、きっと好きになったはずだということのみだろう。

 

もう一つ、これは私が勝手に先入観を抱いてしまったために生まれた不満なのだが、大正時代という、数多の既存作品の中でも奇妙なくらい珍しい時代設定なのに、その設定の活かし方に物足りなさを感じた。

私の好きな漫画は歴史系が大半だ。池田理代子氏の"ベルサイユのばら"を筆頭に、同作者の"オルフェウスの窓"、小山ゆう氏の"お~い!竜馬"、渡辺多恵子氏の"風光る"、惣領冬実氏の"チェーザレ"、野田サトル氏の"ゴールデンカムイ"、などなど。

オリジナル、または実在の人物をモデルとするキャラクターに、史実の出来事を交えながら物語が紡がれていく、エンターテイメントであると同時に歴史に対する知識欲が埋まる楽しさがそれらにはある。

だから、鬼滅の刃が大正時代を舞台にした作品だと聞いて、その時代に起こった事件が絡んでいくのかなと、勝手に想像していたのだ。

けれど、今回総集編を見てその期待は裏切られてしまった。大正時代という稀有な設定は、古い時代特有の貧富の差による悲しいエピソード、キャラクターたちの華やかで特徴的な大正生まれの服装、という2点でのみ活かされているだけのようで、もったいなさを感じた。

 

 

以上が、鬼滅の刃・総集編を観て抱いた感想だ。

こんなにも日本国内で、はたまた世界レベルで人気を高めているのに、初めてこの作品に触れた結果こんな残念な感想を抱くなんて、作品そのものに申し訳なさを感じる。

初めから原作を読んでいたら、感想は違っていたかもしれない。だが、もうこの作品に関してはこれ以上追求しないだろうと思う。もし今後縁があって原作を取る日が来たら、再度どんな感想を抱いたか記事に残したいとは思うが。

しかし、こんなに文章を書けるのかと驚いたくらい様々な考えを巡らさせてくれたことには感謝だ。鬼滅の刃はそんな形で私に一時の「鬼滅ブーム」を巻き起こしてくれたのだった。