【2019年~2020年】コミュ力低アラサーのワーキングホリデー回顧録 ~プロローグ:駆け出し~
2019年の春、私は5年間勤めた会社を退職した。
理由は…、仕事の内容に付いていけなかった、将来何十年もこの業界でやっていく展望が見えなかった、というまさに「仕事出来ない人間」が述べる理由そのものだった。
さらに後押ししたのが、アラサーに近づいていく中で生まれた焦燥感。
10代・20代を平凡に無刺激に過ごしていたために生まれたのだろう。会社を辞めた時期の1年くらい前から「何もしないと後で後悔するのではないだろうか」という疑問が浮かぶようになったのだ。
おまけに、偶然見掛けた少女向けテレビアニメ;HUGっとプリキュアの「何でもできる、何でもやれる~」というOP開始時のセリフと「未来に向かって頑張れば何でも出来る」というHUGプリのテーマが、頑張ることを避けがちな自分でも目標を持って動けば何かを得られるのではないか、自分の行動力を試したいという欲求を生んだ。
(Hugプリを見たのは本当に偶然だったが、このプリキュアのテーマは本当に自分を後押ししてくれるようで見ていて元気付けられ、それから最終話まで見てしまった。まさかこの年齢で…?と少しショックを感じたが、見てよかったと思っている。)
という感じに自分の内部でごちゃごちゃと後押しするものがあり、今後どうするかの予定も決めないまま、とりあえず足を止めようということで退職を決意した。
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ワーホリに行こうと決意したのは、退職願いを出してからだった。
退職を決意したことを母親に報告した際に、「せっかくだしワーホリ行って来たら?」という提案がきっかけだった。
なるほど、自分の行動力を試すにはもってこいだ。
10代の頃は、海外留学なんて出来っこないと完全に謝絶していたが、今はそんなに抵抗は感じない。
退職後、さっそくワーホリエージェント後補を3件上げ、資料請求した。
当初は全てカウンセリングを受けてから決めようと計画していたが、最初の1件目で、具体的なワーホリ先とワーホリ1年プランのサンプルを見せられ、気分がノリノリになったせいもあって、その1件目を利用することに決めた。
(場の空気に流されると、冷静に比較検討とか出来ないのだ。カウンセラーのお姉さんも感じが良かったし…。)
1回目のカウンセラーで、どこに行けるのかワーホリ先の国の候補を挙げてもらった。
イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、アメリカ(他にもあったかも)の数か所の都市にそのエージェントの事務所があるのだそう。
イギリスは抽選制らしい。1回目抽選に落ち、それから待機の後2回目で行けたという人の話を聞いた。
オーストラリア、カナダ、アメリカは広いな。
ニュージーランドは多国籍国家でアジア系が多いらしい。羊と牛の国…。あ!そいういえば、”ロード・オブ・ザ・リング”や”ピアノレッスン”のロケ地だったよな。
(”ロード・オブ・ザ・リング”はextended版全3作セットを買うほど好き。あのスケールとファンタジー感は映画史上最高である。)
人口が少なく、自然がたくさんで、のんびりしたい人に向いているのだそう。悪くない。ニュージーランドに決定。
映画のロケ地くらいしか知らないのだが、返ってその方が新しい発見があって楽しいはずだ。
エージェントのお姉さんは、2か国留学を提案してくれた。
最初にフィリピンのセブ島で1か月間、居住&食事つきの学校に通い基礎英語力を身に着け、それから本命のワーホリ先の国に行くというものだ。
確かに、ワーホリ先でも学校には通うが、同時に仕事もしなくてはならない。全く無知な状態で行くよりも英語が少しでも使えた方が絶対有利だろう。
ワーホリエージェントのカウンセリングを受けたのは4月の初旬あたり。
それから3週間くらいで、ワーホリのプランが決まった。
出国は2019年の6月末。セブ島のZAマボロ校に4週間滞在し、そこから直接ニュージーランドに渡り、オークランドのCCEL校に3か月間通う。最初の1か月間はホームステイだ。
出発までにしなくてはならないのは、
費用の支払い:セブ島の学校が約20万円。ニュージーランドでの学校+ホームステイで約100万円。
予防接種:フィリピンの環境は日本と比べると衛生的に良くない。狂犬病とマラリアを受けたと思う。
健康診断書:ニュージーランドワーホリに必要。都内1か所しかないセンターで受けた。
飛行機の手配:日本発→セブ着&セブ発→オークランド着。Skyscanerで大分お手頃価格でチケット入手できたと思う。(日々値段が上がっていたので焦っていたのを覚えている。)
自分で準備したのは上4つだけで、それ以外ワーホリビザの手配などはエージェント側で対応してくれた。
決断してからたった1か月弱程度でワーホリ行きが決まるとは思わなかった。当たり前なのだが、行動や決断が早くなるとそれだけ新しい世界に早く近づくことが出来るのだと実感した期間であった。
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住んでいたアパートを引き払い、地方の実家に引越した。引越の準備や、それのための移動手続きや税金手続きなどの役所関連の準備の方が面倒くさくて大変だった。
都道府県をまたいで引っ越すくらいで手続きが必要なこの仕組み。ニュージーランドに住むまでは寛容に受け止めていた…。